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𦚰田慶和について

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𦚰田慶和について

刑事として現場を駆け回り、
外交官として世界を舞台に奔走し、
そして今、行政書士として国境を越える人々を支える。
𦚰田慶和の歩んできた道は、
常に“人”と“世界”をつなぐ使命に貫かれてきた。
警察・外務省・内閣調査室と、
国家レベルの経験を重ねた彼が、
今なお日本と世界の懸け橋として走り続けている。

𦚰田慶和の経歴

世界の現場で磨かれた「洞察力と行動力」と未来へつなぐ約束。

1981

刑事としての原点、そして世界へ。

𦚰田のキャリアは、
大阪府警本部の刑事から始まる。
外国人犯罪の捜査を通じ、文化や言語の違いを超え
人を理解する大切さを学ぶ。

その経験が評価され、フィリピン国家警察へ派遣。
ここで培った国際的な視野が、後の外交官としての礎となった。

1992

カンボジアから広がる、世界への使命。

国連平和維持活動(PKO)の一員として、
紛争後の国の再建に携わった。
現場で目の当たりにしたのは、
平和の尊さと、命を守るという使命の重さ。
帰国後は内閣調査室で94カ国の海外情勢を分析し、
世界を俯瞰する視点を養った。

この経験が、「国際社会で生きる日本人を支える」
という彼の志の原点となる。

1999

外務省出向、インドでの挑戦。

外務省出向により、インド・チェンナイ総領事館の領事に任命。
本格的な外交官としてのキャリアをスタート。
現地では、精神的指導者サイババとの面会や、
森首相のインド訪問の成功など、国際舞台で重要な任務を果たした。
異文化の中で築いた信頼と経験が、
「人と国をつなぐ」活動へと受け継がれている。

2001

9.11、世界が変わった日。

2001年9月、
ニューヨーク総領事館の領事として勤務中、
9.11同時多発テロ事件が発生。
現地での情報収集と調査に従事し、
国家の安全と人命を守るために奔走した。
その現場で感じた「命の重み」と
「国際協力の必要性」が、今の活動の原点となる。

2002

G8サミットでの出会い。

2002年のG8サミットにて、
プーチン大統領の柔道の練習相手を務める
という貴重な経験を得る。
国家間の関係を超えた人としての交流を通じ、
「信頼を築くことの大切さ」を改めて実感した。

2025

国際経験を基盤に、新たな使命へ

これまでの国際的な経験を活かし、
日本で行政書士事務所を設立。
国境を越えて生きる人々を支え、日本社会の
発展に貢献することを新たな使命とした。

刑事・外交官としての経験を基盤に、
海外情報の取得、人材活用を専門として活動。

「現場で得た知見を、次の世代や
日本の未来のために活かしたい」——
その想いが、今の事務所の原動力となっている。

2025…

未来へつなぐ約束。

カンボジアで共に働いた仲間との
「学校をつくる」という約束。
仲間は、子どもたちが貧困から抜け出せるように、
学びの場を夢見ていた。

彼の死後、遺族と仲間によりカンボジアの村に
小さな学校が建てられた。
その想いを継ぎ、日本で外国人が安心して学び、
働ける環境をつくることを決意する。

カンボジアの子どもたちが学び、
日本で挑戦する未来を支える——
それが、あの日交わした約束の続きであり、
𦚰田が今取り組む外国人雇用支援の原点でもある。

𦚰田慶和

Yoshikazu Wakita

生年月日

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1957年6月9日生

本籍地

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大阪府(出生地 鹿児島県)

出身大学

-------

関西大学法学部法律学科卒

昭和32年鹿児島県生まれ。
専門は海外情報取得および人材活用
大学卒業後、大阪府警本部を拝命。
外国人の取り調べを担当する刑事警察官として活躍。
その後警察庁(推薦)に赴き、フィリピン国家警察に派遣され、帰国後は総務省総理府を経験。
1992年国際平和協力隊隊員としてカンボジア国連平和維持活動(PKO)に参加。
帰国後は内閣調査室に出向し、
94カ国の海外情勢を把握する中、
1999年に外務省インドチェンナイ総領事館領事として勤務を行う。
サイババとの面会を果たし、森首相(当時)のインド訪問に貢献。
911事件の際にはニューヨーク総領事館領事として連続テロ事件調査に従事。
2002年G8サミットではプーチン大統領対応(柔道の相手)を行う。

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